季刊[はちのへ中心蔵ウェル]

食育エッセイ42「食から元気なからだと豊かな心を」

食育エッセイ 食から元気なからだと豊かな心を 子どもにとっては“ちょっと違う”だけで世界が広がり、嬉しい興奮が生まれ思い出に変わる

 母は7人兄弟、父は3人兄弟でしたので、幼い頃から夏休みにはそれぞれが住む土地へよく遊びに行ったものです。
父の運転する車で出かけたり、電車に揺られて遠出をしたりと、子どもにとってはそれだけでも嬉しいのに、その先々で口にした食べ物が鮮明なのは、おそらく自分の家ではあまりお目にかからない食卓だったからだと思います。

 七戸の伯母の家は商店街の真ん中にあったので、田んぼの真ん中に住んでいた私たち姉妹にはとても魅力的な家でした。おまけに「じゅんちゃ~ん、油揚げ買いましたよ。」と言う伯母の声に台所に行くと、お向かいのお豆腐屋さんから買ってきた揚げたてにお醤油をちょっと垂らしたお揚げがお皿の上にふっくらのっていて、初めて口にした揚げたての味に魅了された5歳の私。
 その上、「今日のお昼は出前にしましょう。」とご近所のラーメン屋さんから届いたラーメンに、出前なんて言葉さえ知らなかった私にとっては、伯母の家が食堂に早変わりしたようで興奮したものでした。
 弘前に住む伯母はとてもモダンな人でしたから、器も盛り付けも母とは違い、同じトマトでも、チーズでも別なものに見え、外国に行ったような気にさえなったものでした。玄関や廊下に額に入った絵も飾られており、「へぇ~絵って飾るものなんだ~素敵だな~。」と、私の美意識の原点がそこから生まれたような気もします。
 仙台の伯父の奥様は料理教室を経営していた食の専門家でしたから、食卓にはレストランでいただくような献立に加え、作り方から栄養面までの説明付き。横浜の叔父の家は中華街が近かったことから、シューマイや餃子が食卓に並び、子どもにとっては嬉しい献立と、「たくさん食べてね。」という叔父の言葉に、喜んでいくつもいくつもほおばった記憶がよみがえります。
 そして近所にある叔父の家は、両親の都合で幼い姉妹で時々お泊りまでさせていただいており、その当時は決まって納豆ごはんが食卓に。今回は菊入りだとか卵入りだとか、納豆のかき混ぜ方も母とは違っていたので興味津々でした。

 私の家とは違う食卓の風景に、夏休みは大いに刺激を受け、ちょっとしたお出かけが大旅行でもしたような気持ちになった子ども時代。
 大人が些細に思うことでも、子どもにとっては感じ方が異なるものです。ちょっと違うだけで、世界が広がり、ちょっと違うだけで嬉しい興奮が生まれ思い出に変わる…。

 今年の夏はこれまでとは違う夏ですが、旬を楽しみ、食を楽しむ小旅行を食の地図ウエルを片手に!
 ウエルの魔法にかかりながら、家族と、友だちと、同僚と、さあ、夏の食を楽しもう!ジュンコ先生もさあ、いくぞ!

– 書き手- 千葉幼稚園 園長 岡本 潤子