よき思い出はよき人生につながる」とは、母がよく使う言葉であり、私自身も日々子どもたちと共に生きる中で、人生最初の学校である幼稚園でのよき思い出が、子どもたちのよき人生につながるようにと願いながら過ごしています。ありがたいことに、私自身の心の内側にも様々なよき思い出がため込まれて今があります。
幼い頃、小さな庭でしたがその庭にテーブルを出して家族と共に食事をした時の手巻き寿司の味。当時馴染みのお寿司屋さんで、まだ小さかったにもかかわらず父親とカウンタ―に座り、お寿司を数えながら頬張った満腹感。
「食べる時は座ってたべなさい!」と躾られたのに、デパートのジュースバ―で初めて立ち飲みでジュースを飲んだ時のドキドキ感と氷の冷や冷や感。
高校生の最初の夏休みに初めて友だちと一緒に喫茶店というところに入って、たわいのないおしゃべりをしながら口にしたバナナジュースの味。高校、大学と寮生活をした私にとっては、親元を離れた寂しさをかき消す時間が寮生皆で囲んだ食卓のにぎやかな音であったこと。
都会暮らしにも慣れた大学時代は、社会全体が豊富な時代であったためか、街歩きや飲食に関する雑誌が次々と創刊されていたことから、妹や友だちと一緒にあちこち出かけては、ここはスフレが美味しいお店、ここのガーリックライスは絶品!などと、食べ歩きを楽しんでいた時の高揚感。
社会人となり最初に勤めた会社の上司がグルメであったことから、よくご一緒させていただき、食べながら、飲みながらも「覚えなければならないことはメモはとらずに頭で覚えること」「心を使って仕事をすること」など、その時間は社会人としての極意を教えていただく時間でもあったなと。
これらの思い出はすべて今の私自身を形作っていることに気が付き、そのほとんどが食という営みを通して思い出として心に大切にしていることに気づきます。
遠く離れて過ごす妹や、仕事仲間、友人と会うことがかなうなら、どんな手料理を食べさせようか、どこで、何を食べようか、だれもがそんなふうに思い今を過ごし、今を生きている私たち。
食という営みがあるから命をつなぐことができるのですが、それだけではなく、食は目には見えない思い出という財産を授けてくれるものであるのだと。
だから、これだけは大きな声で叫びたい!
「フレーフレーWell ! フレフレWell !
フレフレWell ! オゥー!」
– 書き手- 千葉幼稚園 園長 岡本 潤子